KOSAKU KANECHIKAでは、2026年6月12日から7月25日まで、京橋にて青木豊展「節とつぶて」を開催しています。本インタビューでは、青木豊の制作を支える思考背景について、美術評論家/キュレーター・堀元彰氏が話を聞きました。世界はいかなる知覚や経験を通して把握され、それはいかに絵画という画面に翻訳されるのか。展覧会の構想から、作品の制作プロセスを辿り、青木豊の実践と思考のあり⽅を探ります。
──まず今回の個展について今回の新作で正方形の青い作品があるけれども、それについてちょっと教えてください。この作品を見た時に、濃紺の面が海を、シルバーのアルミの部分が海面から出た岩みたいなものを思わせて、スプレーの部分が波しぶきを連想させたんですよね。で、どこか波が打ちつける岩場のある海面を真上から見た模型のような気がして、本来は床面に水平に置かれるはずのものが垂直に壁にかけられているっていう奇妙な錯覚を感じたんです。そこは何か意図したものとかはあるんでしょうか。
青木 はい。その奇妙さが重要です。正方形はひとつの単位として設定しました。正方形が持っている自己相似性。この構造を出発点にしたかったんです。(正方形を)2等分すると長方形が2つできて、それをまた中央で区切ると正方形が4つになって、と、これを繰り返すことができる。無限に収縮・拡大していくという両方の運動性を持っている。この状態が必要だと考えました。
おっしゃっていただいたように画面は自然界を思わせますね。領土とも捉えられます。あの作品は最終的にスプレーを噴射させることで完成します。スプレー缶に穴を開けて噴出させているので内容物が一気に飛んで行って。通り抜けたり絵の具の塊にぶつかって押し返すようにしたりして画面に定着していきます。色があらゆる状態のまま同時にそこにある、その様相を作りたかったんです。
海面や岩場を連想させるということは、自然界が持っている構造というか知性を成果物として取り入れることができたのかなと思えます。
同じシリーズとして4点作ったのですが、それぞれ上下左右の方向から色を噴射していて、異なる運動性を示唆しています。
──今の説明を補う上でも制作プロセスのことを聞いておいた方がいいと思うので、もう一度おさらいというか説明してほしいんですけど。
最初に画面に下地の色を塗って、それからメディウムで形というか、その突起状のものを作って、それから色を塗った部分にマスキングをして、突起状の部分にシルバーでペイントをして、マスキングを剥がしてスプレーする順番ですか。
青木 そうです。始めに色を中心として画面を作ります。この段階では平滑に仕上げていきます。次に筆や刷毛で描いていって。作品によっては、突起状と呼ばれたように、構造的な絵の具の塊を定着させていきます。その後、描いた筆跡に忠実にマスキングをします。それからスプレーの仕事という流れです。あの突起状のものは数種類のメディウムを混ぜて作っています。彫刻的な造形物として作っていて。塊をテーブルの上に置いて筆や刷毛でかたちを刻むように描くのですが、硬化するまでに2ヶ月ぐらいかかるんです。その時間の中で、ぶら下げてみたり、ねじったり折り畳んだりして。表だったものが裏側に入ったり、まだ乾燥してない部分が裂けて表に出てきたり、内と外が反転しながら、ねじれた時空を伴ったものとして作っていきます。硬化が進んできたら画面に定着させていきます。
──今回特にやっぱり水平に置いた方がいいかなって思ったのが、すごく彫刻的な印象を受けたんですね。今までも突起状のものは画面にあったけども、それはあくまで平面を構成する部分っていう風に受け入れられてたんだけど、今回のは彫刻があるなというような感じを受けました。あと最初に言ったその波しぶきのように見えるっていうところ絵をよく見ると、下地の色って結構薄い青なんですね。スプレーの青は結構濃い。そこが逆転して見えて、濃い青の上に白い波しぶきがスプレーで飛んでるのかなというふうにちょっと錯覚をしたんだけども。
青木 はい。便宜上、下の色と呼びますが、下の色は明るくも暗くもない色で作り込んでいます。絵の具の塊を部分的に画面から浮かせたり、洞窟のような空間を作っていまして。噴射する色が通り抜けられるようにしているんですね。同じ層の上に噴射された色が手前に来たり奥に行ったりと、それぞれの色は同じ層の上にあるが入り組んでいる、という状態にしています。
色は光の代用物として扱っているのですが、この作品では噴射元の位置から遠ざかるほどに荒い粒の集合として色彩に移り変わっていきます。ここに絵画の層に関することと、時間とのかかわり方とを組み込んでいます。
──そのスプレーのことですけど、青木さんは制作でスプレーをずっと使ってきていて、初期の折り紙の作品とか白い下地にメディウムを混ぜた白で山を描く作品とかでは、スプレーが光の筋の役割を果たして作品の見え方が立ち位置で変わったりとか、描いていた時には見えなかったものを、可視化していくみたいな役割があったと思うんですけど、スプレーの使い方自体に何か変化っていうのはありますか。
青木 はい。スプレー缶に直接穴を開けて噴射させるという方法も取り入れるようになりました。
──ノズルで出す時とはだいぶ効果は違う?
青木 別物になりますね。消火器のように内容物が一気に放出されるので速度や量が違います。スプレー缶に残ってしまう顔料の塊も一緒に放出されるので、ノズルから吹きつけるのとは違う効果というか違う意味が出ます。色の重なり方にも関わってきます。
──もう一つの新作の方についてもお聞きします。大きさが23.0×16.0センチ大のパネル張りしたキャンパスの組作品で、最も数が多い24点組が4段6列という形でギャラリーの一番長い壁をメインにして、かなり高い位置から展示されています。この高い位置はどうやって決めたのでしょうか。
青木 軸が入り組んでいるような空間を作りたいと考えました。
まず、短手の壁に掛ける作品を鑑賞者の視線に合う高さで掛けることにしました。そして24点組の作品は視線から逃れる位置で展示しようと。見上げたり見下ろしたり、中腰にならないとみえないといったように、身体が入り込んでいく余地を広げました。
──ちょうどギャラリーの通路開口部の部分に来るはずの作品が反対側の壁に来ています。
青木 あれをやりたかったんです。この展覧会の空間を計画するにあたって金近さんと色々考えました。本来は4段で6列に並んでいるはずのもののうち、1列が自分の正面にあって。
──今回の動線だとそれがまず目に入る。
青木 ギャラリースペースの開口部を通る時に、本来は自分が背負う壁側に並んでいるはずの作品が自分の正面にある。
外から内側に入ってきた感覚で最初の4点を捉えることになるんですけど、実際はその4点の内部から自分が出てきたということに。内なのか外なのか、どこにいるのか分からないような構造にしたくて、ああいった構成にしました。
──セットの作品の制作方法についても、確認したいと思うんですけど、例えばいろんな色が使われてたり、いろんな形の突起物がありますけど、色と色とか、色と突起の形状とか、突起のある位置とかの組み合わせはどうやって決めているんでしょうか。
青木 最終的に組になる数は24点と決めて取り掛かったんですが、一つ一つがバラバラな状態のまま結果的に24点になっている、という作り方にしています。色については、完成した作品から24点を選ぶ際に可視光線の光のスペクトルを下敷きにして組み合わせていきました。
──24点の配置はそれも光のスペクトルを考えて?
青木 はい。展示空間全体を考えて適切だと思える配置にしました。空間が変われば配置も変わると考えています。
──過去の個展、例えば2019年の「Today’s」とか2020年の「INTO THE AIR」でも2段掛けの展示っていうのはやっていったと思います。でもその時は作品の大きさも大きくて、それぞれ独立した作品が2段掛けでかかっていたと思うんですけど、今回のセット作品と一番大きな違いっていうのはどういうところ?最初のスペクトルの組み合わせとか、そういう計算の部分があるんですか。
青木 今回の展覧会全体を貫いて、単位を重要な要素にしました。作品の内容としての単位が変わりましたね。
──この作品のサイズ23.0×16.0センチっていうのは、どこから来たのでしょうか?
青木 例えば水滴が表面張力で縁を保っていられるように、このサイズは自分の範囲が見えてくるというか。意識が反応できる単位としてよかった、と言えば良いんでしょうか。掴めるか掴めないか、縁のようなものをこのサイズが適正にもたらしてくれる印象があります。そして比率が良いですね。作品の大きさを決めるときは比率を考えます。
──今回展覧会のタイトルについても教えてください。毎回青木さんの展覧会のタイトルはユニークで、「窓と行進」(2021)とか「歩く花嫁」(2022)とか「U」(2025)とか、展示作品や制作のコンセプトと関わっています。今回「節とつぶて」というタイトルをつけられてますけど、それはどういう風な意図からつけられたんでしょう。
青木 運動と単位を指す言葉としてつけたものです。正方形を一つの単位として捉えて、その正方形に内在しているフラクタルの構造に無限の収縮・拡大という運動性が含まれている。その単位にまつわる言葉としてつぶてになリました。
──順番からすると、最初の四角い作品が節?
青木 そうですね。節であり、つぶての始まりですね。
──そして組作品の方に展開していく(拡散していく)みたいな…。
今回のプレスリースの中で、4次元立方体って言葉を使われていたんですけど、多くの人にあんまり馴染みがないし、ちょっと僕もよくわからない部分もありました。4次元立体に興味を持ったきっかけは何ですか。確かに今までの青木さんの作品も、2次元と3次元の間を行ったり来たりするような部分もあったと思うんだけども、その制作の上で 4次元っていうものに関心を持った、意識するようになったのはどういう経緯からでしょうか。
青木 4次元は僕もわかっていません。(笑)ですが、人の能動的な思考と身体性に関するメタファーとして考えています。
制作活動を見つめ直すと、関心の大きな部分を占めるのは、そもそも絵画はどこに成立するのかということなんです。ブラックとピカソによって実践されたキュビスムとコラージュは、時空を2次元上に折り畳んでしまうという大きな発明でした。現在も折り畳まれ続けているものを開き直す試みをしたい。そこで僕たちが住むこの3次元の空間に時間を足すことから始めようと。画面の内と外、両方の時間に介入しようということから来ています。
次元認識が変われば、僕たちが生活している環境そのものの捉え方が変わりますね。絵画によってそれをやってみたいと思っています。ただ、4次元はもちろん認識できない。できないが、元々絵画に備わっている時空を往来するような力と掛け合わせることができればその片鱗に触れることができるんじゃないかという希望を持っています。
──今ちょうど時間の話が出ましたが、僕も時間への意識があるのかなとまず思いました。ただ第一印象としては、正方形の作品が静止画的な印象がすごく強くて、動きというものの一瞬を捉えて、あえて排除したような感じがしました。そこは何か逆転させるみたいな発想があるんですか。
青木 まばたきのような、切断という要素も持ちます。(今回の展示ではまばたきから着想したシリーズの新作も発表している)
加えて、作品の前にいる人間が介入することで全体を獲得する、人がいることで増幅されるものとして制作しています。
──それでその4点の画面で、それぞれスプレーした方向が違うとか、そういう構成になっている。
青木 はい。磁場がある状態を作りたいと考えました。ねじれた状態といいますか。
──あえて水平じゃなくて、壁にかけて垂直に置いてるっていうことも?
青木 制作中は作品を平置きにしたり、ちょっと斜めにして重力を頼って絵具を乾燥させたりしています。大きな作品を制作するときは脚立の上に立って見下ろしたりもします。いろんな方向から部分的に見続けて制作していく中では常に時間の断片を見ている。それが最終的にねじれたように壁に掛かる。作品が水平として面白いとおっしゃっていただいたのはまさにそこで。壁に掛かけていますが、いろんな座標から介入できる。
──今回のインタビューにあたって、青木さんのこれまでの個展のプレスリリースを読み直したんですが、現代のデジタル化社会の問題とか、あるいはアユタヤ遺跡を訪ねた時の印象とかがステイトメントに語られていて、思いのほか青木さんの実体験が作品制作に関与していたことをあらためて知りました。青木さんの場合、作品だけを見ているとアトリエにこもって実験をしているみたいな印象がすごく強いんだけども。
青木 基本的には素材とやりとりしながらテストを重ねて制作するんですが、抜け落ちる穴のようなものがあって。未分化でエネルギーが拮抗しているようなものに触れた時に、これが欠けていたと思い知ります。社会構造に対しての課題意識は常にあります。中でも情報の概念についてです。
──最近の作品は、あえてイメージを否定するというか、全くそこには関与しないように向かっているように見えます。唯一イメージ的なものを感じさせるのは、そのメディウムを混ぜて作ったその突起物ぐらいなのかなという気がするんですけど、そこは何か意図してというか、こういう方針でっていうところがあるんですか。山を描いた作品とかだと、山ってイメージがかろうじてだけど、あったと思うんですけど。
青木 山を描く時は大きく2つの捉え方をしていまして、ひとつは自然界が持つ知の総体としての山です。もうひとつは噴火口を描く時ですが、これは虚無として捉えています。あることとないことが同時に存在している。情報には意味を固定するという性質が含まれますね。意味の定着を拒否し続けたいんです。
──今回がKOSAKU KANECHIKAで8回目の個展ということですけど、着実に一歩一歩前進してるというか、毎回新しい展開をされていると思います。この先どういう風に展開させていこうというか、何か目処・目標みたいなのがあるんでしょうか。例えば4次元を5次元、6次元という次元を重ねていくとか、あるいは今回作って発表して何かまた気づいたものとかあってあるんでしょうか。
青木 画面が時間と並走している。その様相を引き起こそうと様々な力関係に注目して制作してきました。絵の具が彫刻的な構造を持つようになり、それに応じるようにスプレー缶には穴が空いていました。矛盾点を明確にしながら、整理するべきところと抱え続けるものとを考えて積み重ねていきます。
──絵画表現の可能性にまだ何が残っているのか、それを青木さんが独自のアプローチで探求していることがよくわかりました。困難で険しい狭路を一歩一歩、手探りで果敢に進んでいくような青木さんの制作にこれからも期待しています。